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●ロシアン・ピアノスクール in 東京 2015
ドレンスキー教授レクチャー 開催レポート
2015年8月14日(金)14:00〜14:50 
会場:カワイ表参道 〈東京メトロ表参道駅A1出口徒歩1分〉

  

 ロシアン・ピアノスクール in 東京の7日目、午後2時から音楽監督のドレンスキー教授によるレクチャーの2回目が行われました。スクールの総合監修、ロシア音楽学者の一柳富美子先生の素晴らしい通訳により、会場は和やかな雰囲気の中、大いに盛り上がりました。

 お話は、1枚の写真を絡めて教授の音楽人生についてです。その写真は、モスクワ音楽院の教室で教授がご自慢の生徒たちに囲まれ、それを壁に掛けられている額の中からラフマニノフが見守っている、というものでした。生徒たちは、パーヴェル・ネルセシヤン、デニス・マツエフ、ヴァディム・ルデンコ、ニコライ・ルガンスキー、アンドレイ・ピサレフという、現在ではいずれも素晴らしい音楽家たちです。

  教授のことなので、さぞかし少年時代はピアノで天才ぶりを発揮していたのだろうと思いきや、全くそうではなく、1931年に生まれたドレンスキー少年は、腕白小僧でいたずらばかりして、あちらこちらで事件を起こしていた手の付けられない子どもだったそうです。ロシアではどんなに小さな子どもでも、あまりに悪いことをするとムチで打ってお仕置きをするという習慣があって、そのムチ打ちの刑に2度遭ったそうです。1回目は、道路に石を並べて自動車を故障させた時、2回目は6歳の時にモスクワ音楽院の大ホールでの子どもの演奏会に母親に連れられて行き、演奏の最中に突然「アイスクリーム食べたい」と言って、聞き入れられないと大声で泣き出して演奏会を中断させた時だそうです。演奏会の時は、支配人がやってきていきなりムチ打ちの刑をされたとか。現在の教授からは想像もつきません。

 8歳か9歳の頃に第二次世界大戦が始まり、それからはずいぶん恐ろしい思いもしたそうです。

 音楽については、7歳半でモスクワ音楽院中央音楽学校に入学したそうですが、当時まだ楽器ができなかったので、試験では歌を歌ったそうです。入学後もピアノをあまり真面目に練習しなかったようですが、12歳になって突然音楽に興味が出てきてピアノが非常に面白くなり、真面目に練習を始めたといいます。その時に、ソ連の人民芸術家で当時最高のピアニストであり素晴らしい教育者であったグリゴリー・ギンスブルク先生のクラスに(教授曰く)「偶然」行くことになったそうです。その先生から教わった一番大きな財産は、音色をどういう風に愛でるか、ということだそうです。教授は2─3指でオクターヴが届くくらい大きな手を持っているのに汚い音しか出ない、ギンスブルク先生は小さな手なのにもの凄く美しい音が出る、それはなぜかと先生の弾く音を注意深く聴き、手をよく見ていて、手の大きさが問題なのではなく、一番大事なのは指先の繊細さと手首の柔らかさで、それによって美しい音色が出せる、ということが少しずつ分かってきたのだそうです。この先生に巡り会えて、次第にピアノが上手くなっていったということです。

 ここから先の教授の音楽人生を是非聞きたかったのですが、大変残念ながら時間になってしまいました。教授もこの続きを是非話したいので、頑張って来年もここに来ると仰って、今年のレクチャーは終了しました。

(K.Y.)

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