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第14回「MPAの裏話」*海外研修編II* コンサート調律師(MPA) 大久保 武
・ボッフム、テューマ社のホールの中
ボッフムはドイツルール北西部のルール工業地帯の中心に位置し、昔は炭鉱で有名な町だったみたいだけど今は日本と同じく廃鉱している。私が高校まで住んでいた福岡県大牟田市も炭鉱節で有名な炭鉱町で、(月が出た出た月が~出た、よいよい。三池炭鉱の上に出~た・・・)三池という名前は神話にでてくる大蛇が斬られて三つの池になったという伝説から由来している。仕事等でボッフムの石炭博物館を訪問した大牟田の石炭関係の友人がいるが、私が一年近く住んでいたと言ったらおどろいていたよ!
・テューマ社の仲間たち
そこでお世話になったテューマ社はピアノメーカーであり、ディーラーであり、ホール (450名キャパ)もある総合施設でドイツでも珍しい会社である。そこのホールでは週三回位ピアノや室内楽のコンサートがあり、そのほとんどの調律をまかされた。ベーゼンドルファーのインペリアルとモデル275、カワイEXの3台のコンサートピアノがあり大変良い経験になった。
アルゲリッチやフレーレ等一流のピアニストも頻繁に来て、演奏を聞く回数も日本では考えられない程多かった。
工房には6人の従業員が月3~4台のアップライトピアノと年1~2台のグランドピアノを生産し、中古のオーバーホールも常にやっていて大変興味深かった。
その年の秋にケルン音楽大学でトマソーニ国際ピアノコンクールがあり、EXも出品したので調整を担当した。ファツィオリ、ヤマハ、カワイ、スタインウェイの4台で、調律の担当はファツィオリはケルン音大の専任調律師で韓国人のヤン氏、ヤマハはヤマハハンブルクの小幡氏、スタインウェイはスイス人のモルフ女史だった。
初めての国際コンクールの仕事だったけどその頃(1989年)のEXの認知度は低く、使ってくれる人はあまり期待出来なかった。その中でもチェコ人の参加者でEXに興味を持ち、迷っていたピアニストがいたが、モルフ女史が説得し結局スタインウェイを使った!
言葉がもう少し喋れたらと思ったよ〜(1人ぐらいいいじゃんかよー) そのモルフ女史ったら、身長は180センチ前後で、スタインウェイのフルコンのアクションを指二本で持ち上げるんだよ!(最近女子で調律師になりたいという相談が多いが、この時の話をして、力が無いとできないよと説得している)
・ドイツ北部、ブレーメンの音楽隊の銅像
この頃はドイツというよりも外国生活に慣れることに必死で余裕が無かった。全てが新しい体験で、刺激的な毎日だった。
一年を通して湿度は低く夏場は夜遅くまで明るく(23時位)真冬は日照時間が8時~15時で、四季を感じるというより春への憧れが強い土地柄と言えるだろう。だけど1年目の冬はマイッタなぁー。元々乾燥肌気味なのがますますパリパリになりシャワーの後はニベアの一番濃いスキンクリームを塗りたくったもんなぁ〜。
2年目は油っぽいのをガンガン食っていたので、平気だったよ!
・ワルシャワ、ショパンコンクールの舞台(ピアノ選びで、7台並んでいる)
・ラーフェンスブルクのピアノハウスボーガー
その後イタリアのボルツァーノでのブゾーニ国際ピアノコンクール、ワルシャワでのショパン国際ピアノコンクールなど経て、ドイツ南部ラーフェンスブルクのディーラー、ピアノハウスボーガーでお世話になったが、それからの話は次回に・・・
では又次回をお楽しみに!
大久保 武(おおくぼ●たけし)
1979年 調律養成所18期生、卒業入社
1989年 海外技術研修生1期生として渡欧
1991年 帰国、ピアノ研究所勤、務EX製作
1994年〜 九州支社MPAとして活動国際コンクール歴:(主なもの)
1989年 ケルン トマソーニ音楽コンクール
1990年 ボルツァーノ ブゾーニピアノコンクール、ワルシャワ ショパンコンクール
1993年 ミュンヘン 国際音楽コンクール
1994年 ロンドン ナショナルパワー国際コンクール
1995年 東京 日本(東京)国際音楽コンクール趣味:ゴルフ・ピアノ
特技:ピアノ調整工具作り
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