ホーム>2003年没後50周年記念演奏会

 


御 挨 拶

 

 本年2003年は、レオニード・クロイツァー教授が逝去されてから50周年に当たります。
 第二次世界大戦をはさんで、我が国の音楽界に貴重な足跡を残された教授は、世界的に高く評価された芸術家でありました。
 その遺徳を偲ぶ本日の記念コンサートに、多数の音楽愛好家の方々に御来場頂くことができました事を心から感謝申し上げます。
 現在のクロイツァー賞は、教授ゆかりの三校の大学院ピアノ専攻修了の最優秀者に贈られるものでございます。世代の違う六人のピアニストに共演して頂く事は、誠に幸いと存じます。
 本日、同時発売のCD「レオニード・クロイツァー音楽の遺産U」は、クリストファ・N・野澤氏の御尽力により完成いたしました。
 出演者の皆様、野澤様、及びこの会の開催に御賛同頂きました方々に、心からの謝意を表したいと思います。
 これを機に、今後ともクロイツァー記念会の活動を御理解の上、御支援頂きますように、お願い申し上げる次第でございます。

10月30日 クロイツァー教授の御命日に 
クロイツァー記念会会長 中山 靖子 

 


プログラム

 

小原 孝
ドビュッシー: 『前奏曲集』第1集より
 第5曲「アナカプリの丘」 第7曲「西風の見たもの」
 第10曲「沈める寺」    第12曲「ミンストレル」

砂原 悟
ショパン: 幻想曲 ヘ短調 op.49

福井直昭
リスト: 『超絶技巧練習曲集』より 第11番「夕べの調べ」
半音階的大ギャロップ

住友郁治
ラフマニノフ: 前奏曲 ト長調 op.32-5
練習曲集「音の絵」op.39より
 第7曲 ハ短調  第9曲 ニ長調

永岡信幸
シューマン: 交響的練習曲 op.13

植田克己
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a『告別』
 


曲目解説 

 ドビュッシー

『前奏曲集第1集』より 

 第5曲「アナカプリの丘」、第7曲「西風の見たもの」、第10曲「沈める寺」、第12曲「ミンストレル」

 近代フランス音楽に革新をもたらしたクロード・ドビュッシー(1862−1918)は、伝統的な音楽語法に拘わらずに大胆かつ微妙な響きを求め、或る事象のイメージを浮かび上がらせるような新しい音楽のあり方を追求した。各12曲2集の『前奏曲集』は、そうした彼の音楽の特色を端的に示す円熟期のピアノ曲で、彼ならではの斬新な音楽語法が自在に用いられ、1曲ごとイメージと雰囲気を巧みに表わし出している。各曲それぞれの標題が曲頭でなく曲尾に記されている点が興味深いが、これは標題によって描かれるものを最初に規定するのではなく、音の動きと響きが次第に描かれているもののイメージを浮かび上がらせる、ということを意図したからだろう。標題といっても、表現するものを明確に具体的に描写するのでなく、象徴的にその像を映し出すというわけで、その点、文学の象徴主義や美術の印象主義と相通じるものがある。本日は、1909年から翌10年にかけて作曲された第1集から、以下の4曲が取り上げられる。
 第5曲「アナカプリの丘」(きわめて中庸を得た速さで〜活発に)は、タランテラ舞曲や民謡的旋律が地中海的な明るさを描き出す。アナカプリとはナポリ湾の島カプリにある地名。第7曲「西風の見たもの」(活発に騒然と)では、ドビュッシーらしい大胆な書法によって、荒々しい西風の力感が描出されている。第10曲「沈める寺」(深い静けさをもって[穏やかに響く音の海霧の中で])は曲集中でも特に有名な曲の一つで、不信心ゆえに海に沈んでしまった大聖堂が時折海上に浮かび上がってくる、というケルト族の伝説のイメージを、鐘の音や聖歌を交えた神秘的な音の響きで綴る。第12曲「ミンストレル」(中庸の速さで[元気にユーモアを加えて])は、黒人に扮して歌い踊る音楽ショーの情景。全曲を締めくくるにふさわしい粋な曲である。

 

ショパン

幻想曲 ヘ短調 op.49

 フレデリク・フランソワ・ショパン(1810−49)の数あるピアノ曲の中でただ1曲ファンタジー(幻想曲)と銘打たれたこの曲は、中期から後期へと向けて、彼の創作力がとりわけ脂の乗っていた時期にあたる1841年に書かれた作品で、その題名の表わすとおり、霊感溢れる楽想を連ねた幻想的な趣を持っている。重い行進曲風の序奏が置かれた後、情熱的な主題に始まる主部ではいくつかの楽想が次々と現われ、途中静かな部分をも挟みながら、変化に富んだ展開を繰り広げていく。自由な形式をとっているが、その裏にソナタ形式の応用ともいえるような論理的な構成が考慮されている点も注目すべきだろう。深い内面的ファンタジーとそれを律する確かな書法が見事に結び付いた傑作である。

 

リスト

『超絶技巧練習曲集』より

 第11番 変ニ長調「夕べの調べ」 S.139-11

 自らヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして早くから名声を博し、ピアノの名技性を追求していたフランツ・リスト(1811−86)は、すでに若い時に技巧のための練習曲の創作を試みている。その最初は1826年(15歳)に出版した12曲で、彼はその後これを改訂して1839年に出版し直した。そして壮年期の1851年にさらに改訂を加えて1852年に出版したのが、最終稿となる『超絶技巧練習曲集』である。最初の形から実に25年をかけて練り上げた練習曲集であり、リストが開拓した種々の技巧が盛り込まれると同時に、彼自身の音楽表現上の深化もこの最終稿には如実に現われている。特に全12曲のうちの8曲に新たに文学的ないしは絵画的な連想と結び付いた題が付け加えられた点は興味深い。最終稿が作られた1850年前後はすでにリストが標題音楽の手法を究めていた時期であり、この『超絶技巧練習曲集』は、かつて書いた練習曲をそうした標題音楽的な発想で捉え直して改訂したものとも見なし得よう。名技性と標題性との結び付きという点で、まさにリストの音楽の本質を端的に示す曲集である。本日演奏されるのは第11番変ニ長調。改訂の際に特に標題的な要素が加えられた曲で、「夕べの調べ」の題どおり、夕べの鐘の響きの描写によって夕暮れの情景を映し出したロマンティックな叙情に溢れる佳品である。

 

半音階的大ギャロップ

 1838年に書かれたこの「半音階的大ギャロップ」は、リストの面目躍如たる名技的なピアノ曲である。華麗なる技巧に、舞曲ギャロップ特有の急速な輪舞の性格と、半音階的和声法とを結び付けた曲で、ファンファーレ風の序奏に続き、ロンド風の形式の主部が半音階的な響きと多彩な転調のうちに繰り広げられていく。リスト自身もこの曲がお気に入りだったといわれ、また当時は一般聴衆にもとりわけ人気のあった曲だった。

 

ラフマニノフ

前奏曲 ト長調 op.32-5

 ロシア生まれの作曲家セルゲイ・ラフマニノフ(1873−1943)は、自ら秀れたピアニストだったこともあって、ヴィルトゥオーゾ的な技巧性にロシア的な叙情性を結び付けたピアノ曲を数多く残している。前奏曲集はそうした彼の特質が如実に示された作品。24の長短調すべてを用いて前奏曲を書くという趣向はバッハ以来しばしば見られ、ラフマニノフの前奏曲もそうした24すべての調に跨がっているが、彼の場合1つの曲集としてまとめられているわけではなく、複数の曲集に分けて書かれているのが特徴的である。ト長調の曲は1910年に書かれた「13の前奏曲」作品32の第5曲にあたるもので、夢見るような叙情に満ちた美しい佳品である。

 

練習曲集「音の絵」op.39より

 第7曲ハ短調、第9曲ニ長調

 前奏曲集と並んでラフマニノフの代表的なピアノ作品に上げられるのが練習曲集「音の絵」である。音による絵画的な表現を意図した作品だが、具体的な標題は付けられていない。1911年に書かれた作品33と、1916年から翌年にかけて書かれた作品39の2集があり、本日は作品39からの2曲が演奏される。ハ短調作品39-7は曲集中もっとも長大な曲。作曲者自身「葬式の行列」と述べており、レントの重々しい運びと錯綜した和声表現が暗い沈んだ気分を生み出す。ニ長調作品39-9はラフマニノフが「東洋の行進曲」と称した曲で、ピアニスティックな華麗な広がりを持つ。

 

シューマン

交響的練習曲 op.13

 ロベルト・シューマン(1810−56)は少年の頃から大変な読書好きで、ロマン主義の文学や思想に深く傾倒していた。そのような彼が音楽においてロマン主義的な主張を打ち出して行くことになるのは自然な成り行きだったといえる。シューマンの音楽に見られる詩的な性格、激しい感情表現、内省的な思索性などは、まさにドイツ・ロマン主義の思想にその根を持っている。そうしたロマン的なスタイルを追求するにあたって、初期のシューマンはもっぱらピアノ曲の分野で自らの語法を試み、ピアノ曲の傑作を次々と生み出していった。「交響的練習曲」もそうした初期の一連のピアノ作品の1つで、1834年から37年にかけて作曲された(1852年に改訂版も作られている)。練習曲といっても変奏形式を基本とした作品であり、その主題はアマチュア音楽家のフォン・フリッケン男爵が作曲したものである。当時シューマンは男爵の娘エルネスティーネと恋愛関係にあり、この作品の根底にはそうした恋の感情が込められているのかもしれない。交響的という題のとおりのシンフォニックな広がりを持つ鮮やかな書法、“練習曲”にふさわしい高度な技巧性の追求、変奏曲という形式の持つ厳格な趣、その中に浮かび上がる感情的起伏に満ちたロマンティシズムなど、シューマンの独創性が端的に示された作品である。とりわけ最終曲は、ドイツ・ロマン派のオペラ作曲家マルシュナーのオペラ「聖堂騎士とユダヤ女」の主題を第1主題としたソナタ形式の堂々たるフィナーレとなっており、これにフォン・フリッケン男爵の基本主題を結び付けて、圧倒的なクライマックスを築き上げている。

 

ベートーヴェン

ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 op.81a 『告別』

 『告別』ソナタとして広く親しまれているこの作品は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770−1827)が1809年から1810年初めにかけて作曲したソナタである。後期に向かって新しいスタイルを探っていた時期の所産であるが、このソナタで何よりも特徴的なのは、各楽章にそれぞれ「告別」「不在」「再会」という標題が付されていることだろう。これはルドルフ大公の疎開に関わっている。ベートーヴェンのパトロンだった大公はナポレオン軍を避けて一時ウィーンを離れたが、ベートーヴェンはその際の別れの思いと再会の喜びをこの作品で表現したのだった。書法的に注目されるのは、第1楽章の序奏冒頭の3音の下行動機がモットー動機として楽章全体を支配している点だ。この動機に対してベートーヴェンは楽譜上に、別れの挨拶を意味する“Le・be・wohl”という語を歌詞のように書き記すことで、この動機が“告別”を意味していることを明らかにしている。
 第1楽章「告別」(アダージョ〜アレグロ、変ホ長調)は、前述のモットー動機で始まる表情豊かな序奏の後、ソナタ形式の生き生きした主部に入る。モットー動機は様々な形で扱われ、第1主題、第2主題にもその動機が織り込まれている。第2楽章「不在」(アンダンテ・エスプレッシーヴォ、ハ短調)は簡潔な2部形式だが、調的に不安定な動きによって深い陰影を生み出し、休みなく次の楽章へ進む。第3楽章「再会」(ヴィヴァチッシマメンテ、変ホ長調)は一転、喜びの感情に満ちたソナタ形式によるフィナーレである。


出演者プロフィール 

 小原 孝

 神奈川県川崎市出身。6才よりピアノを始める。
 1986年、国立音楽大学大学院修了。クロイツァー賞受賞。90年、オリジナル・アルバム“ねこはとってもピアニスト”でCDデビュー。93年、文化庁芸術インターンシップ研修員。99年、レギュラー番組NHK-FM“弾き語りフォーユー”スタート。02年、同番組がABU賞ラジオ部門エンタティメント番組賞受賞。第13回奏楽堂日本歌曲コンクール優秀共演者賞受賞。
 ピアノ及び伴奏法を、菅野洋子、古代公子、小林道夫、塚田佳男、畑中更予、ヨン・ブリック、ルドルフ・ヤンセン各氏に師事。
 現在、国立音楽大学非常勤講師。ソロCD24枚、楽譜集19冊、エッセイ集1冊発表し、いずれもベスト・セラーとなっている。マルチ・ピアニストとしてジャンルを越えて幅広く活動している。
H.P“小原孝のピアノサロン”
http://www2.odn.ne.jp/~cau57200/

 

 砂原 悟

 東京藝術大学付属高校を経て、1983年、同大学卒業。同大学院在学中の85年、ドイツ学術交流会(DAAD)の奨学金を得て渡独。87年、ミュンヘン音楽大学マイスタークラッセを修了して帰国。88年、東京藝術大学大学院修了。93年まで同大学院博士後期課程に在籍した。
 在学中の86年に室内楽で西独バイエルン放送に出演、87年ミュンヘンでリサイタルを行った。帰国後は東京で3回オール・ブラームスによるリサイタルを行うほか、室内楽においても東京を中心に国内各地で演奏活動を行う。98年には、文化庁の派遣により、クラリネットの村井祐児氏とトルコ大使公邸やイスラエル・テルアビブにおいて室内楽演奏を行い好評を得た。また98年1月より2000年7月まで「レッスンの友」誌にペダル使用に関する記事を連載した。
 84年、日本音楽コンクール入選。87年、ポルト市国際ピアノコンクール(ポルトガル)入賞。88年クロイツァー賞受賞。
 現在、東邦音楽大学助教授、東京藝術大学講師。

 

 福井直昭

 1970年東京生まれ。93年慶應義塾大学経済学部卒業。E.トゥーシャ氏に師事し、95年武蔵野音楽大学大学院修了、クロイツァー賞受賞。
 98-00年ミュンヘン国立音楽大学において、G.ピルナー氏に師事。
 99年ブルガリア国際コンクール「Music and Earth」全審査員一致でグランプリ大賞受賞。
 96年「ブタペストの春」国際音楽祭に招聘され、メンデルスゾーン室内管と協演、ヨーロッパデビュー。
 その後も国内及びヨーロッパ各地でリサイタルを開催、ソリストとしてはハンガリーヴィルトゥオーゾ室内管東京公演、ブルガリア国立放送響創立50周年記念公演(世界42ヶ国衛星生放送)、ソフィア・フィル管定期公演等、内外の多くのオーケストラと協演する。室内楽奏者としてもK.ベルケシュ、天満敦子ら著名な演奏家達と共演し、またCD録音、放送等の分野でも活躍する。
 現在、武蔵野音楽大学及び、同大学附属音楽教室講師。

 

 住友郁治

 国立音楽大学附属音楽高等学校を経て、同大学、同大学院を各々首席で卒業。1991年矢田部賞、93年クロイツァー賞を受賞。
 91年NHK-FMデビューリサイタル出演。第11回朝日新聞社主催新人コンクール大賞、第5回国際リストコンクール(イタリア)入選。93年第2回ヤングプラハ国際音楽祭出演。第69回日本音楽コンクールで木下賞を授賞。池澤幹男、武井恵美子、ダン・タイ・ソン、故アンリエット・ピュイグ=ロジェ各氏に師事する。
 リサイタル以外にも俳優(斎藤晴彦、渡辺美佐子、村井国夫ら)との共演、「音楽のたのしみかた」の講座の講師、来春公開の映画「バーバー吉野」の音楽で、ピアノとアコーディオンを担当するなど、活動は多岐にわたる。
 現在、洗足学園音楽大学講師。

 

 永岡信幸

 武蔵野音楽大学・同大学院修了、クロイツァー賞受賞。リスト音楽院、ベルリン芸術大学、パリへ留学し、1988年ベルリン芸大を全教授一致の最優秀で卒業。坂井玲子、P.ショイモシュ、K.ヘルヴィヒ、G.ムニエの各氏に師事。W.ケンプ財団の招きによりイタリア・ポジターノでのG.オピッツ氏によるベートーヴェン全ピアノソナタ・協奏曲講座に参加。国際コンクールでは、ブゾーニ第4位(1位なし)、エピナル第2位、ヴィオッティ第3位、マリア・カナルス第3位他に入賞。85年リスト音楽院にて初リサイタル、89年サントリーホールにて日本デビュー。以来リストを中心にバロックから現代に至る作品で国内・ヨーロッパ各地にてリサイタル、オーケストラとの共演、室内楽。NHK、SFBベルリン放送、フランス国営放送等に出演。この6月にリスト・巡礼の年第一年とノルマの回想によるCDをナミレコードよりリリース。武蔵野音楽大学、白大学足利高校音楽科、愛知県立芸術大学講師。

 

 植田克己

 札幌生まれ。
 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、同音楽学部を経て同大学院音楽研究科修了。故伊達純、松浦豊明各氏に師事。在学中第38回日本音楽コンクール入選。1971年安宅賞、73年にクロイツァー賞を受賞。75年ドイツのデトモルト北西ドイツ音楽アカデミーに留学、翌年からベルリン芸術大学で引き続きクラウス・シルデ氏に師事。77年ロン・ティボー国際音楽コンクール第2位大賞。78〜79年ベルリン芸術大学助手を務め、1980年帰国まで欧州各地で演奏活動を展開。NHK交響楽団、札幌交響楽団、東京都交響楽団、大阪フィルハーモニー管弦楽団、九州交響楽団、ベルリン交響楽団、ドイツ・バッハゾリステンなどとも共演。1986年より「植田克己ベートーヴェンシリーズ」を開催。独奏はもとより室内楽奏者としても活躍している。現在クロイツァー記念会副会長、日本ショパン協会理事、東京藝術大学教授。

 


ホーム>2003年没後50周年記念演奏会