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西原 稔 公開講座 開催レポート(1- 全3回シリーズ)
R.シューマン − 知られざるその世界 −
2011年1月28日(金) 10:30 講座(10:30〜12:30)
主催:カワイ音楽振興会

会場:カワイ表参道コンサートサロン「パウゼ 」

  

 今日から3回にわたって桐朋学園大学音楽学部教授・音楽学部学部長の西原稔先生を迎え、シューマン(1810-56)のピアノ作品についてのレクチャーが開催されます。第1回のテーマは《アベッグ変奏曲》作品1、《パピヨン》作品2、《謝肉祭》作品9。朝早い時間帯でしたが、ピアノ教師と思われる方々を中心に大勢のお客様が「パウゼ」に集まりました。事前にレジュメと譜例が配布されており、受講者の皆さまは西原先生のお話に熱心に耳を傾けながら、メモをとっていたようです。

 冒頭の概説で、西原先生はシューマン作品の「難しさ」について述べられていました。先生が指摘された「難しさ」をまとめてみると、第1に「文学との関連が非常に強い。すなわち音符だけで解釈できない」、第2に「ある主題が別の楽曲において出現することがしばしばあり、意味づけが容易ではない」、第3に「変奏曲において、変奏の技法が独特」ということができると思います。今回のレクチャーは、これらのことについて具体的に検証し、その独特で魅力的な世界に近づこうとするものだったと言えます。

 最初に取り上げたのは《アベッグ変奏曲》で、主に「変奏の技法」についての解説がありました。この作品は通常の変奏曲のように、「主題そのものを変形する」のではありません。「それぞれの変奏において主題が原型のまま提示される」という手法によって曲が展開していくのです。確かに筆者もこの曲を初めて聴いた時、ベートーヴェンやブラームスらの「変奏曲」とはかなり異なっていたので、不思議に思ったことがあります。この作品が出版された当時、レルシュタープという人が、この曲は変奏曲になっていないという批判をしたというのもわからなくはありません。

 ところでシューマンは、「ABEGG」の主題を用いてもう1度別の曲を作っています。《6つの間奏曲》作品4-6です。曲の途中に、突如「ABEGG」のテーマが浮かび上がってきます。このかなり意識的な主題の用い方は、どのような意味をもっているのでしょうか?シューマン本人に聞いてみない限り答えは分かりませんが、いずれにしても「ABEGG」のモチーフが気に入っていたことは間違いないようです。筆者は《間奏曲》のこの部分を聴いて《序奏と協奏的アレグロ》作品134の途中で出現する「赤とんぼ」風の旋律を思い出しました。もしかすると別の世界がふと出現するというのは、シューマンならではの手法といえるのかもしれません。

 続く《パピヨン》では、「文学との関わり」についてのお話が印象的でした。この曲の作曲後、シューマンは愛読していたジャン・パウルの『生意気盛り』の随所に、『パピヨン』の該当する曲の指示を書きつけました。どうやらシューマンは、《パピヨン》をおおよそ書き上がった段階で、改めて『生意気盛り』を読み、この小説から得たイメージを増幅させて作品に文学的な意味づけをしていったようです。西原先生は実際に、ジャン・パウルの『生意気盛り』の該当箇所の日本語訳を紹介して、実際の音楽作品との関連を説明して下さいました。それによると「パピヨン」すなわち「蝶々」は、深層心理学の世界を思わせる、何か永遠の憧れや理想、少女の象徴を描いているようです。ジャン・パウルの文は謎めいた表現も多く、はっきりと意味がつかめない部分も多かったのですが、それだけに受け手に様々な解釈を呼び起こしますし、それはシューマンの音楽の世界とも大いに通ずるものがあると感じました。

 また、この作品における主題の連関についてのお話も興味深いものでした。この曲の主題は、その後の《謝肉祭》作品9でも引用されています。つまり《パピヨン》と《謝肉祭》は連続している構想なのです。他にも《ピアノ四重奏曲ハ短調》第4楽章や、《8つのポロネーズ》、大衆歌曲《爺様が婆様を娶ったとき》や、《交響曲ト短調》(未完)からの引用もあります。このように《パピヨン》は、数多くの引用によっていることがわかるのです。このことは、冒頭で西原先生が述べた「主題をとっておき、使い回す」というシューマンの創作における特徴をよくあらわしているといえます。

 変奏の技法ということでとりわけ印象的だったのは《謝肉祭》でした。これも変奏曲の一種と見ることができます。しかし西原先生によると、変奏の手法は《交響的練習曲》や《ベートーヴェンの主題による変奏曲》とは異なり、一種のアナグラム(文字を入れかえて別の意を持った言葉にする、言葉遊び)なのだそうです。この曲の楽譜を見てみると、第8曲と第9曲の間に、「スフィンクス」と書かれた3つの音型が記されています。通常演奏されることはないこの3つの「スフィンクス」が、この作品全体の謎を解くカギとなっているようです。というのも、それぞれの曲は、「スフィンクス」のモチーフを様々な形で入れかえて用いているからです。このようにシューマンは《謝肉祭》の作曲において、「スフィンクス」の動機を用いて様々に作曲、最終稿の段階で取捨選択をして、曲集にまとめたことがわかります。言ってみれば「音による言葉遊び」がこの曲に含まれているというわけで、非常に興味深く思いました。

 非常に内容の濃い2時間でした。このスペースには書き切れないことも多くありましたが、個人的には、今回取り上げた3曲の成立の背景には、未完に終わった様々な曲の断片や、文学などが関わっているというところが特に興味深かったです。複雑な事実関係も、西原先生の明快なお話、レジュメと譜例により、分かりやすく聞き手に伝わったと思います。筆者にとってもシューマンという作曲家は、同時代のショパンやリストと比較して、「魅力的だが何となく近寄りがたい」というイメージがありましたが、今回の西原先生のレクチャーを聞いて、「理解するためには、音楽的素養はもちろん、文学的素養も求められる作曲家である」ということをより一層感じました。しかし、今回のレクチャーで、様々な角度からアプローチすることにより、大変奥深く、味わい深いシューマンの世界が見えてくるということも分かりました。次回は2011年2月25日、「ピアノ・ソナタ」の構想について取り上げるとのこと。シューマンの音楽を勉強されている演奏家やピアノ講師の方々にとって、見逃せない内容となりそうです。

(M.S.)

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