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ショパン・フェスティバル2010in表参道
パネルディスカッション『パリのショパン』開催レポート
パネラー:河合貞子、小林 仁、青柳いづみこ
2010年5月30日(日) 17:00開演(16:30開場))
主催:日本ショパン協会
共催:カワイ音楽振興会
2週間にわたって開催されるショパン・フェスティバル2010 in 表参道も、折り返し地点となりました。5月30日は、「パリのショパン」と題するパネルディスカッションが行われました。日本を代表するピアニストで、日本ショパン協会の会長でもある小林仁先生が司会をされる形で、『ショパンとパリ』などショパンに関する著作で知られる河合貞子さんと、ピアニストで文筆家としても高く評価されている青柳いづみこさんとの対話で進められていきました。
ディスカッションは、ショパンがパリに到着した頃、つまり1830年頃から始まりました。この1830年7月には「7月革命」が起き、貴族社会から新興ブルジョワに主導権が移っていくという点は、全体を通してのキーポイントの1つとなっていました。その中で、繊細な音で大きなホールには向いていないショパンは、貴族のサロン、そして貴族へのレッスンで生計を立てていくことになったのです。河合さんは、地図を用いて、どこに貴族やブルジョワが住む地区があったのか、そしてショパンはどこに住んでいたかなどを、現在のパリの様子とも照らし合わせて紹介してくださり、想像がふくらみました。
そして、話題はショパンで交流のあった芸術家たちにも及びました。同じポーランドからの亡命者、ミツキエヴィチは、ショパンのバラードに影響を与えたと言われていますが、青柳さんによると、情景ごとの直接の対応関係ではなく、それを超えたより深いところで、結びついているのではないか、ということでした。また、『民衆を導く自由の女神』で有名なドラクロワは、非常にグロテスクな印象を与えますが、彼自身は“古典主義者”だと思っていたと河合さんが指摘。ドラクロワはまた、ショパンの即興を引き合いに、必ずしも入念に手を加えて完成させる方が良いわけではないと主張したとのことです。それに、小林先生はショパンの晩年の作品は、特に即興風になっていくと加え、例として《マズルカ》Op. 56は「マズルカ・ファンタジー」と呼べるのではないか、と実演してくださいました!
そのほか、まだまだ興味深いお話はありましたし、それでも興は尽きないといった様子でした。図版なども多く用いながら、ショパンの生きたパリの様子が鮮やかに語られ、非常に有意義なひとときでした。
(M.K)
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