3月に入り、表参道は暖かな陽気に包まれました。今回の表参道フレッシュコンサートでは、若手ピアニストの沢田千秋さんのリサイタルを聴きました。プログラムには、ドイツの作曲家による有名な曲が並んでいましたが、沢田さんのプログラミングの特徴は、ピアノ編曲に注目していることです。つまりもともとアンサンブルのために作曲された作品を、ピアノのソロで弾けるよう編曲するスタイルに注目し、そういった編曲における創造性をテーマにしています。たとえば、バッハやベートーヴェンのオーケストラによる大きな曲を、後の時代の演奏家であるケンプやリストがピアノ一台で再現できるように編曲したものを扱っています。また、ブラームスが自身の弦楽六重奏曲やバッハの無伴奏ヴァイオリン曲をピアノ編曲したものも曲目に並んでいます。
黒のシックなドレスに身を包んだ沢田さんが登場して演奏が始まりました。バッハ作曲ケンプ編曲の《ラルゴ》(ピアノ協奏曲 ヘ短調 BWV1056の2楽章)の演奏が始まると、会場はしっとりと落ち着いた雰囲気で充たされ、私自身幸福な気持ちになっていきました。ブラームスの上述の編曲作品の演奏では、時には柔らかな表情に引き込まれ、時には厳しい迫力で切り裂かれたかのようになり、いずれも沢田さんらしいピアノの音色がきれいにまとめられていました。
今回の目玉である後半の曲目は、ベートーヴェンの交響曲第五番をリストがピアノ用に編曲したものです。この、作品としても編成も大きな原曲を、ピアノ一台で弾こうという試みそのものが、19世紀のピアニストらしい発想です。10本の指をフル活用して強弱も緩急もたった一人でやり遂げるのですから、超絶技巧以外のなにものでもありません。オーケストラの音を模しているだけにとどまらず、ピアノ奏法に独特のやり方、たとえば右手と左手をわざと交差させたり、短いフレーズをあえて両手を使って弾くといった両手の使い方には、当時最高のピアニストであったリストらしい「見せる」ための工夫がありました。この曲を体力の限りに弾ききった沢田さんの顔には汗が光っていました。スポーツさながらの活力をともなった演奏に、聴き手は最高の敬意を払って拍手を送りました。ピアノが作り出す音楽の力の大きさを再認識できた演奏会だったと思います。(T.)